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当初分水口を百五個設置したが水利の調整に困難し五十七個の穂坂式配水池を設けて公平な分水を行った。用水の問題は対外的にも対内的にも終始数々の問題に苦しめられている。特に渇水時には水量不足と漏水によって幹線水路後半の南箕輪・西箕輪・伊那町は水不足となった(伊那市史 現代編)
穂坂式とは、第3代西天竜耕地整理組合長「穂坂申彦」氏が円筒分水工を採用したことによる。
土木学会の近代土木遺産に指定されている。土木学会誌(2008.6)によると、「現在、円筒分水工が35基活用されており、大小の分水を加えると実に83基に上る」とある。 |