円筒分水鑑賞用のデータを収集しています。加除修正などお気づきの点がありましたらお知らせください。
会津宮川土地改良区9−0号分水工(あいづみやがわとちかいりょうく9−0ごうぶんすいこう)または、津尻円筒分水(つじりえんとうぶんすい) |
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会津宮川土地改良区の円筒分水。旧分水工は現分水工の南側にあったが、近年改築された。
老朽化した円筒分水を改築して、また円筒分水を選んでいる。 |
■名称 |
会津宮川土地改良区9−0号分水(津尻円筒分水) |
■用水名 |
(調査中) |
■管理者 |
会津宮川土地改良区 |
■所在地 |
福島県河沼郡会津坂下町 |
■完成年 |
(調査中) |
■緯度経度 |
(調査中) |
■形式 |
スリット溢流式 |
■規模 |
(調査中) |
■分配数 |
7 |
■鑑賞に適した時期 |
おそらく灌漑期 |
■総合 |
★★★☆☆ |
□大きさ |
★★★★☆ |
□美しさ |
★★★☆☆ |
□迫力 |
★★☆☆☆ |
■管理人の雑感
なんといっても、「改築してもまた円筒分水」。
私の認識が甘かっただけではあるが、会津は以外にも水田が開けていた。とにかく広大な農地である。戦国時代に蘆名氏と伊達氏が東北の覇権を争い、関ヶ原戦役では上杉氏の原動力となり、江戸から明治維新まで会津松平氏を支えたのは、まぎれもなくこの"豊かな農地”であろう。
豊かさ故に開墾も奨励され、阿賀川の供給水量以上の農地を開発し、水量不足による水争いが勃発したのではないだろうか。
その水争いの歴史を、艱難辛苦の歴史を忘れないためにも、円筒分水を残そうとされたのではないだろうか。欲を言えば、そうした石碑や説明板が欲しいところだ。
円筒分水の横には流量計などの施設があり、その横に十分すぎるほどの駐車スペースがある。駐車場には困らないが、フェンスに阻まれて鑑賞にはやや厳しい感がある。
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