|
円田村、村田町、沼辺村は慢性的な灌漑用水不足に悩まされてきた。大正3、4年以来毎年のように干ばつに見舞われ「我らに水を与えよ。然らざれば死を与えよ。」と村人たちが嘆くほど惨憺たる旱害が続いた。村人たちは新たな水源として松川に水を求め、国や県の支援を得て工事に着手した。工事はとても大規模なもので、村民が負担するの借金の利子も甚大なものになったという。
また、同じ松川の水を従前から利用している水利組合とも折衝を重ねなければならなかった。かくして、昭和6年7月20日に通水を開始し、3町村の水が確保された。
分水工へは対岸の遠刈田発電所で使用した水の一部をサイフォンで松川を潜り抜けここまで運ばれる。 |