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放射式分水装置(ほうしゃしきぶんすいそうち)
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○円筒分水のルーツ
小泉村耕地整理事業は、大正3年から同14年にかけて実施された新たに水田を拓く事業である。
その頃は富国強兵の国策もと、各地で開拓や干拓が奨励されていた。新たにため池(ダム)を造り水を蓄え、原野を切り開いていった。ダムを造り、水路を穿ち、原野を切り開くには、これまでの農業経済と比較して高額な費用を要することとなる。
この放射式分水装置の発明者「可知貫一」先生は、農業土木研究2巻1号(1930)に「この分水装置はいかなる場合にも用いる性質のものではなく、(中略)追々、水が高価になるにつれ、これに似たような分水方法で水の分配を公平にし、能率増進を図る必要も生じる」(過去の文献は現代仮名遣いに変換し引用。以下同じ)
また、この前段には、「毎秒1立方尺の流水を(中略)水源費として1万5千円内外、少し難工事とかため池水源の様な場合は2万円を超えて費している例もある」と寄稿論文で紹介している。昭和初期の大卒初任給が60円〜70円、米10`が2円30銭であるから、水の貴重さが解ろうというものである。
図からも解るように、分水装置の上面には木製の蓋がかけられている。
「水理ト灌漑(齋藤美代司著、大正14年、上図(平面図、縦断図)はこの文献から転写」によると、「本装置はコンクリート製の永久的な構造物で、上部には全体を被う蓋を有し、鍵をかける装置なので、管理人のほか何人も手を触ることができないので、管理が容易である」とある。
つまり、円筒分水のルーツは「水争いの解消」ではなく、「高価な水の公平な分配」であった。後に、水争いの解消にも流用される偉大な発明となった。
○小泉村耕地整理事業
前出の「水理ト灌漑」によると、「流水を一旦暗渠により水平の分水装置に導き、流線を垂直にさせ、この噴出する水を適当に分配する方法として、岐阜県可児郡小泉村耕地整理地区に設置された分水装置を説明する」とある。
また、前出の「可貫一先生寄稿論文」によれば、「私は、かつて岐阜県に在職の際、一つの用水源によって離れた団地に分水するため、急遽、一種の分水装置を考案し、その施工は、現岐阜県技師子安茂一氏の監督によって完成を遂げた」とある。つまりは、ここが円筒分水発祥の地というわけである。
しかしながら、多治見市史には放射式分水装置の記述はない。耕地整理を記した欄によると、「大正3年より11年にかけて小泉村野中・北の両地区にまたがって耕地整理が行われ、不毛の山林原野が76町歩の水田にかわった。当市域の本格的な耕地整理はこれが始めてであり、かつ最も大規模なものであった。」と記載されている。また、用水源である1号ため池(稔が池)構築の様子が写真付きで紹介されている。
○放射式分水装置(円筒分水)その後
日本いや世界初の放射式分水装置(円筒分水)は現存していない。
現地を取材した際、長年、1号ため池(稔が池)の水管理を行ってきたという古老に当時の様子を伺ったので要点を記しておきたい。
・放射式分水装置は4箇所あり、その一つは1号ため池(稔が池)の溜池伏樋出口にあった。
・現在は四角い分水工に改築されている。
・昭和46〜7年ごろに、1号ため池(稔が池)の補強(止水グラウチング)や水路の改築工事が行われ、このときに、放射式分水装置も取り壊された。
多孔式の円筒分水は、塵芥が詰まりやすく管理に手間がかかる。無念の極みであるが、是非もない。

■名称  放射式分水装置
■用水名 小泉村耕地整理事業
■管理者 (現存しない)
■所在地 岐阜県多治見市
■完成年 1914年(大正3)〜1925(大正14)
■緯度経度 (調査中)
■形式 多孔式
■規模
■分配数
■鑑賞に適した時期
■総合 円筒分水のルーツ
 □大きさ ☆☆☆☆☆
 □美しさ ☆☆☆☆☆
 □迫力 ☆☆☆☆☆
■管理人の雑感
円筒分水を研究する者は、ここを訪れなければならないことは何よりも明らかである。
書くべきことは「背景、沿革」に記したとおりなので、取材直後の小ブログを転載して結びとする。
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良い出会いだった。
円筒分水発祥の地、岐阜県某所へ取材に向かった。
グーグルマップはもちろん、ゼンリン住宅地図、市町村史、農業用水文献、昭和初期の地籍図、など調べに調べて現地へ向かった。
大正時代に食糧増産が国策だったころに開拓された谷。
谷の最上流にある沢を溜め池で塞き止め、水を確保。
そこから谷内各所の水田に水を配るという事業だった。
かつで水田だったと思しき平地には宅地が進出し、農地は半減している。用水路沿いを目を皿にして探すも求める構造物は現れない。
ついに、最上流の溜め池へ辿りついた。
ああ、やはり現存していないのか。
手がかりも無く堰堤をあとにしようとすると、
朝の散歩であろうか、背筋の延びた健康的な翁とすれ違った。
昔のことを聞き出すには絶好ではないかと思い、挨拶を交わし、要件を告げた。
翁は、この水源地堰堤の管理に携わっておられた。記憶も確かで、こちらから放射式分水装置(円筒分水)の話を持ち出すと、輝く瞳で語気もしっかりとさまざまなお話を伺うことができた。
確かにここには放射式分水装置(円筒分水)が存在したのだ。しかも4基。貴重な情報にお礼を述べ、翁と別れた。
翁は長年携わった水守の生業を懐かしみ、ここまで足を運ばれているのだろう。
水田も減少し食糧増産の時代とは大きくかけ離れた近代。
食料は外国に依存し、大量消費・破棄の歪んだ世の中になった現代は、あの翁の瞳にどのように映っているのだろうか。
■ 外部リンク

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