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胆沢平野を潤すには、胆沢川の実力はあまりにも小さすぎたようだ。胆沢川の水量不足と、寿安堰・茂井羅堰が近かったため、水不足のたびに激しい水争いが繰り返されてきた。このため、胆沢川の上流に石淵ダムを建設して水源の強化を図るとともに、円筒分水の設置により水争いを解消させた。この円筒分水の設計にあたっては、下九沢分水池をモデルとされた。
寿安堰の開祖は伊達政宗の家臣後藤寿庵とされ、江戸時代に開かれた。茂井羅堰は寿安堰よりも古く茂井羅という伝説的な女性により1570年ごろに開削されたといわれている。いずれにせよ、400年近くにもわたり、激しい水争いが繰り返されてきたことは言うまでもない。
現在でも十分なQが確保されていないが、石淵ダムの変わりに「胆沢ダム」が建設中だ。これにより、水不足への心配は格段に改善されるため、分水工が”円筒である”必然性はなくなる。しかし、先人への敬意や水への労苦を語り継ぐため、この円筒分水はそのシンボルとして、また学習素材としても永遠に活躍することとなる。
また、徳水園は園地の高台から見渡すことができるが、これは水を公平に分けていることを”魅せる”ための配慮で、設計時に配慮されたものである。
とても素晴らしい計画である。この計画により、現在の施設は平成7年に一回り大きく改修されたらしい。 |